Book
Leave a comment

ピダハン社会から見える幸福論 “ピダハン ー「言語本能」を超える文化と世界観”

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観
ダニエル・L・エヴェレット
みすず書房
売り上げランキング: 71,619


 
「ピダハンは、これまで出会った社会のなかで、最も笑顔でいる時間が長く、幸福に満ちた人々だ」

MITの認知科学の研究グループがそう評した、アマゾンの奥地に暮らす400人ほどの先住民族「ピダハン」。この本は、キリスト教の宣教師としてピダハンの村を訪れた著者による、30年間にわたる滞在からの記録本です。

一見文化人類学的な本に思えますが、とかく面白い!
以前エントリーしました「スエロは洞窟で暮らすことにした」に共通する、「なぜ、人は所有を求めるのか?」「なぜ、人は信仰を必要とするのか?」「幸福とはそもそも何なのか?」といった根源的な問いを持ちながら、その極端な回答例によって私たちに揺さぶりをかけ、一人ひとりに考えを持ち帰らせる類の本と言えるでしょう。



 

ピダハンにないもの/ピダハンがしないこと


簡単に、ピダハンの面白い特徴から挙げてみる事から始めてみます。
まずは「ピダハンにないもの」から。

  • 右/左の概念がなく、色の名前も存在せず、数の概念すら存在しない
  • 「ありがとう」「ごめんなさい」「こんにちは」といった言葉がない
    ピダハンには、具体的な情報や命令しか存在せず、言語学で言う上記のような「交感的言語使用」が見られない。
  • たくさん食べない
    日に一度か二度程度。一日中食事をしないことも多い
  • たくさん寝ない
    ピダハンは「おやすみ」という言葉を、「寝るなよ、蛇が来るから」という言葉で表現する。つまり、一日にまとめて2時間以上は寝ないようにし、断片的にしか寝ない。
  • 飾らない
    ピダハンは羽毛飾りをつけないし、ボディ・ペインティングもしない。また儀式も存在しない。つまり、アマゾンの他部族のように文化を誇示しようとしない。
  • 蓄えない
    食料を保存する事を望まず、貯蓄のための技術や道具を軽視する。
  • 神がいない
    民族が信仰する神はおらず、そのため創世神話も彼らには存在しない。
  • 将来や過去の事は語らない
    過去は反省せず、未来は気に病まず、そもそも死を恐れていない。今日の計画と、今目の前で起きていること事しか信じず、語らない。
  
上記のうち、「たくさん食べないこと」「たくさん寝ないこと」の背景は分かりやすいでしょう。アマゾンという危険な環境で生きる事からすれば、これらへの耐性の必要性も想像しやすいと思います。
ちなみにピダハンは決して怠惰でなく、むしろ実によく働く民族と言われています。


ピダハンにあること/ピダハンがすること


一方、「ピダハンにあること」についても挙げてみます。

  • とにかく笑う
    魚が沢山採れても笑い、全然採れなくても笑う。腹いっぱいでも笑い、空腹でも笑う。
  • 触り合い、愛情を示す
    大人子ども、男女問わず、互いに身体に触れ合うことで親愛の情を常に示し合う。
  • 性行為がオープン
    多くのピダハンが、多数のピダハンと性交しており、離婚に対して後ろめたさがなく、比較的簡単に夫婦別れもする。
  • 子どもであっても大人扱いする
    例えば、よちよち歩きの子どもが焚き火に近づいても、母親は子どもを火からは遠ざけず、たとえ火傷を追っても親は叱るだけで何もしない。乳離れ後の幼児は、すぐに大人並みの労働の世界に入る。

背後の原則を探る問いとは?


ざっとピダハンの特徴を挙げてみましたが、ここから背後にある原理を探るにあたっての主な問いとは、主に以下と思います。

  • なぜ、ピダハンには「抽象概念」がないのか?
  • なぜ、ピダハンは「貯蓄」をしないのか?
  • なぜ、ピダハンには「子ども」の概念がないのか?
  • なぜ、ピダハンには「信仰」がないのか?

ここまで来ると、もし「スエロは洞窟で暮らすことにした」を読んだ人なら、共通性がなんとなく見えてくるかもしれません。

ピダハンは「今の体験」にしか価値を見出さないから、がその回答です。


直接見たこと/体験したこと、だけに価値を置くこと


言い換えれば、徹底的な現実主義者という事なのでしょう。

数や計算、色などは、直接体験とは異なる普遍化のための技能です。だから彼らからは必要とされない。

また、食料を保存しないのも、その日より先の計画も立てないのも、将来や過去の事を語らないのも、全て「いま、ここ」だけに集中するからこそと言えます。
儀式や装飾にこだわりが少ないのも、必要以上のエネルギーをひとつの事に注いだりしないためと言えるでしょう。

原罪のような証明できない事は信じず、死後の世界のような見たことのないものは信じない。
死への恐怖がなくという事や、信仰がない事も、物事はただあるがままに受け入れるだけ、という態度を考えれば納得が行きます。


「まあ、なんとかなる」の幸福論


とは言えど、ピダハンにとっても不安はあるはずです。病気や食料、アマゾンの危険や、土地を侵そうとする侵略者の暴力などなど。
それらを考えると、生きる不安や苦しみから解消されるために、何かに縋りたい/信じたいという願望が生まれてこないのだろうか?という疑問も浮かびます。

なぜ彼らは、厳しい環境の中で信仰もなしに、いつも笑いあい平穏でみなぎる幸福感が持てるのか?

  • 超現実主義で、未来を気に病まないこと。
  • 子どもの頃から大人扱いをされ、シビアな適者生存の原理で生きてきた自分の能力を信じていること。

この2つを根拠に、どんなことが起きても「まあ、なんとかなる」と信じることが出来、今を楽しむことが出来るのでないか?と著者は考えています。




 

スエロとピダハンに共通するのは、「過去は反省しない」「先の事も考えない」という哲学です。
過去も未来も考えない。一見、最も不安に満ちた選択ですが、この2つから解放されることが、結果最も本人にとって幸福度を上げる手段として機能している事を、この2つの本は伝えています。

その日一日生きていける術さえ身につけておく。
その自信があれば、あとは「まあ、なんとかなる」。
先の事は考えず、今の現実をそのまま受け止めて行動すれば良い。


ここまでシンプルに生きるのは自分たちには難しいですが、「こんな生き方もある」「こんな幸福のあり方もある」という例として、気づきが多くあると思います。

実際、キリスト教の宣教師として訪れたはずの著者が、ピダハンの生き方の自然さに気づき、目に見えないことを信じる事の無為さから無神論者へ転向する、という結論もここではオマケとしてあったりします。

比較文化としての面白さだけでなく、ある意味幸福論としても機能する本だと思います。


参考:著者が登場するピダハンたちが記録された番組映像



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です