Design

旗として再考するアイデンティティのデザイン —「七人の侍」と「ジョリー・ロジャー」から


「趣味のいいゴミも、所詮はゴミ。」
  — レイナー・バンハム氏(建築史家)

冒頭からなかなかスリリングな言葉ですが、、
たとえそれが美しい外観を持ったものであっても、目的に応じた機能を果たせていなれば、そのデザインは無用なものであるという意味では、とても的を得た言葉かと思います。

特に、例えば建築やプロダクトデザイン、環境デザイン、UIデザインのような、目的と評価基準とが比較的明確にしやすいデザイン領域において言及される場合、この言葉には一定の分かりやすさがあるのではないでしょうか。

それでは、例えばCI(コーポレート・アイデンティティ)のようなマークやロゴの場合、どうでしょう?
それぞれの立場ごとで、その評価軸は若干異なってくるような気がします。

ロゴとは単体で用いられるだけでなく、様々なメディアの中で、多様な文脈の中で展開されていきます。
その為、例えばそれぞれのメディアや周辺環境の中で、どれだけ文脈を読み取り、予測し、柔軟度や一貫性、存在感を保てる強度を持っているか?広がりが内包されているか?と言ったデザインシステムとしての計画性や合理性、完成度が、一つの大きな評価基準となりえます。

例えば、以下はドイツのグラフィック・デザイナー、オトル・アイヒャーによる、緻密に計算しつくされながらも高い美意識で構築された、1972年ミュンヘン・オリンピックのアイデンティティ・デザインとデザイン展開の内容です。

0525_001 0525_002 0525_003 (画像:イエン・ライナム氏ブログ「なぜ東京オリンピックのビジュアルアイデンティティーを真剣に考える必要があるのか」より)

ただ、デザインシステムとしての計画性や合理性とは、あくまで「そのロゴが展開上、より望ましく機能するか?」という設問への評価基準です。
では、その機能が従属する「そもそもの目的」に対しては、どのように考えれば良いのでしょう?

という事を考えた時、「旗を掲げる」という行為を起点に考えてみると、「アイデンティティをデザインする事とは?」というそもそもについて、つかみやすくなってくるように思えました。

特に「七人の侍」「海賊旗」をたとえに整理すると分かりやすくなるように思えた事から、少しここからまとめてみようかと思います。


━━━━ たとえ1/ 「七人の侍」平八の旗

まず一つ目のたとえ、黒澤明監督による映画「七人の侍」より、2つの象徴的なシーンから。

|1| 旗を作る理由を問う

野武士の襲来を前に、集まった七人の侍と農民たちとで共に備えをしている、ある雨の日のこと。

七人の侍のうちの平八は、一人黙々と作業をしている。
「ところでお前、何を作っているんだ?」と問う菊千代に、平八は「旗だ」と答えた後、その理由を、こう説明します。
「戦の時にはな 何かこう 高く翻るものがないと寂しい」
そう言って、旗を広げ、シンボルに込めた意味を皆に説明していく、というシーンです。

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|2| そこで旗を掲げる理由とは?

そしてもう一つが、その後、野武士の本拠への奇襲作戦の中で、銃弾に倒れてしまった平八への弔いシーン。

これからの戦いの前に、平八を失ってしまった事を嘆き、意気消沈していく農民と侍たち。そこへ、菊千代が村の中心にある家の屋根によじ登り、平八の作った旗を高く掲げます。
村の中心で、力強く、堂々とはためく旗の長いショット。
それを皆が見上げることで、一気にテンションはピークに上がり、上がりきった状態のまま同時に野武士が来襲し、戦いへと突入していく。
菊千代の「来やがった!来やがったー!」が印象に強く残る、上がりに上がる映画的なシーンです。

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旗の機能1 ━━ 「大義名分を思い起こさせる」

この「七人の侍」の2つのシーンを経ると、「旗」を掲げる事とは「大義名分」を思い起こさせる事、という機能が見えてきます。

村の中央に掲げられた、「我々は何者か?」が記された旗。
その旗は、見るものへ必然的に「我々は、なぜ戦うのか?」「本当に守りたいものは、何か?」「なぜ、勝たねばならないのか?」という「そもそも」の大義名分を思い起こさせます。

例えば、

我々は、百姓だ。
だから、米を守らねばならない。
だから、村を守らねばならない。
だから、家族を守らねばならない。
だから、我々は生き延びねばならない。

我々は、侍だ。
だから、野武士との違いを示さねばならない。
だから、誇り高くなければならない。
だから、社会に奉仕しなければならない。
だから、我々は勝たねばならない。

というように。

旗を作り、掲げる事が、どれだけ人を勇気づけ、立ち上がらせるものになるか?
平八が旗を作るのは、戦の厳しさを知り、人の弱さを知るからこそでしょう。
だからこそ、平八の弔いに菊千代が旗を立てるシーンは、「大義を思い返せ」というメッセージと共に皆を鼓舞し、戦いへ向かわせるための重要な演出となっているのです。

我々は何者か?を思い起こさせ、大義名分を振り返らせ、目的(ここでは「生き延びること」「勝つこと」)を再確認させる機能。
言わば、原点へ回帰させるという機能が、「七人の侍」の旗から、読み取ることができます。


━━━━ たとえ2/ジョリー・ロジャー

2つ目のたとえは、ジョリー・ロジャー。
海賊船が掲げる、ドクロとその下へ斜めに骨ないし刀が交差するマークの、「あの」海賊旗の事です。

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読み書きも出来ない海賊たちによって採用されたこのドクロマークが持つ機能は、至極シンプルと思います。

「恐怖を与えること」。

もう少し具体的に言うと「恐怖のシンボルとして機能すること」です。


旗の機能2 ━━ 「意味を代弁する」

「我々は、海賊である」とアピールする事で、見るものに「あの」残忍な海賊船が来た!と恐怖をさせる。
それは言わば「意味を代弁する機能」と言って良いかと思いますが、それではここで質問を。海賊が旗を掲げ、人を恐怖させる事の狙いって、何だと思いますか?

答えは、少し意外かもしれませんが「効率性の向上」です。

できるだけ貴重な弾薬をムダにせず、被る犠牲を最小限にし、短時間で、より確実に襲撃をしたい。
そのために、恐怖の対象として広くジョリー・ロジャーの認知を図り、その上ではるか前方から襲う船の乗組員を威嚇する事で、戦いを未然に防ぎ、迅速な降伏に追い込む。
つまり、ジョリー・ロジャーは「戦わずして勝つ」最も効率的な戦略のための、最善な手段と言い換える事ができるのです。

我々は何者か?を他者へアピールすることで、より効率的に目的達成を行うための機能。
海賊旗とは、歴史上CIの先駆として機能し、ブランディングによって成果を上げた成功事例の一つと捉えることすら出来ると思います。


━━━━ まとめ:図解でみる旗としてのアイデンティティ

「七人の侍」と「海賊旗」。
この2つのたとえを通じると「アイデンティティをデザインする事とは?」というそもそもの本質と満たすべき要件について、少しヒントが見えてくるのでないかと思います。
図として改めて整理すると、このような「対内的/対外的」という、という2つの方向性を持った役割に別れるかたちで、アイデンティティについて捉えることができるのでないかと思います。

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ちなみにアイデンティティをデザインする事とは、感情的な結びつきを作っていくこととほぼ同義でもあるため、部分的にブランド論とも重複するはずです。
上記図をインターナルなブランディングと、アウターへ向けたブランディングとして捉えていく事も可能でしょう。

ただいずれにせよ、この図では上下に2分する、という体裁で便宜上まとめておりますが、個人的には、黄身と白身のような「たまご」のような構造が、考え方としては自然かなと考えています。
これは、人に置き換えて理解した方がしっくりくるかもしれませんね。


「外見と中身を分けて考える人がいるが、外見は一番外側の中身なんです。」
  — 天野祐吉氏




・参考書籍
「HELLO WORLD 「デザイン」が私たちに必要な理由」
アリス・ローソーン (著), 石原 薫 (翻訳)