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信号は本当に必要なのか?人とルールとの関係 “Removing The Traffic Lights”

信号機や、白線、道路の標識。

それらルールとは、当然ながら人とクルマとが、安全であれるために作られたものです。

が、そのルールによって、渋滞が発生するなど異なる問題が発生してはいないか?

あるいは、むしろルールがある事によって妄信的な不注意が新たに生まれ、事故が起きる可能性が逆に高まる事などないか? などの懸念も考えられると思います。

つまり、ルールを設定し強制する事とは、別の新たな問題を生むことにつながりかねない、というサイクルです。

そこで取りうる選択肢の一つが、「そもそも」の原点に戻る、という在り方でしょう。

例えば、信号機や標識のような交通ルールで言えば、「そもそも、それ、なぜいるの??本当に必要なものなの??」という問いからの再出発です。

イギリス、ポイントンという街で行われている試み。

それがまさに今回紹介する「信号機も、道路標識も、道路のラインですらも、街から取り払う」という試みです。

この動画を見る限り、まず面白いと思われる点は、「ルールを敷くことでなく、導線を再設計する(見えないルールを敷く)ことで解消される問題もある」ということです。

ここでは円形の広場を形成することで、互いに譲り合いながら自然に進行していく様が、映し出されています。

そして車いすの人やお年寄り、さらには目の不自由な人まで、信号がない道路を渡っている様も見えます。

「Shared Space Village」皆の場である、とする考え方。

その原点回帰にも一つのカギがあるのでしょう。

ちなみに、この円形の交差ポイントの一日の交通量は、車26,000台。

それがこの、新たな「見えないルール」により渋滞が大きく緩和。

さらにこの制度が導入される前の3年間の事故は17件であったのに対し、2008年11月の導入後から現在までの事故件数はわずか4件と、大きな成果が伴っている点に、また面白さを覚えます。

多くのアジア諸国へでかければ、未だ信号がないエリアは多いですし、そこでは異常な器用さですりぬけていく様を見る事ができます。

むしろ交通量が尋常でないエリアで信号が整備されている場所を見ると、逆に信号の切り替わりのときには怖さを感じたりもします。

あるいは、ルールに慣れすぎるが故の、完全に無意識状態での「○○だから、安全」のような妄信状態。むしろこっちの方が我々にとっては多い危険かもしれません。

ルールを整備する事は便利ながらも、便利すぎる事だけが人にとって良い事ではない、というよりむしろ危険という事もありうる、という事。

ルールと人との関係性を考えるうえで、とても象徴的な試みと言えると思います。


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